生き物たちが教えてくれました。

農業をやっていた父が急に亡くなり、田んぼを放っておくわけにも行かないから仕方なく始めた。それが僕の米作りのスタートです。
そもそも僕はサラリーマン、田植えはできても、それ以外の事はできないと母に言い、実際、その通りにするしかありません。
すると、田んぼがどんどん悲惨な状態に。
雑草は生え放題。虫は来る。稲に病気も出る。おのずと米の収穫量も少ない。
母は「こんな田んぼ、世間に見せるのは恥ずかしい」と嘆いていました。

そんな調子で数年を経たある日。
畦道を歩いていると、ピシャ、ピシャと音がする。
何かと思ったらカエルが僕の気配に気づいて畦道から田んぼに飛び込んでいたのです。
足元を見ると、ちょっと動けば踏んづけてしまいそうなほど大量のカエル。
田んぼとはこういうものかと驚きましたが、よその田んぼを見ると、それほどたくさんのカエルはいなくて静か。
水は澄んでいてキレイ。
手入れをしている田んぼは、やはり違うなあ、と憧れたものでした。

やがて意外なことに気づきます。
うちの田んぼではドジョウが泳いでいるし、カエルも色んな種類が生息しているけど、よそにはそれが見当たらない。
周囲のベテランの農家の人に聞いてみると「この時期にはこんな薬を使わないといけないよ」……つまり農薬を使うか使わないかの違いだったのです。

無農薬を目指すというより、
この生き物たちと一緒に、
自然な米作りをしたかった。

4年目の田植え後、見たことのない変な形のものが泳いでいるのに気づきました。
調べてみると「ホウネンエビ」という生き物で、害を与えるものではなく、むしろ全国の環境のいい田んぼに生息しているという。
農薬を使った田んぼでは、もちろんお目にかかれないそうです。
この時です、僕は“はっ”としてこう思いました。「そうか、こんなふうに生き物のたくさんいる田んぼで米作りができるのなら、この仕事も楽しいかもしれない」。

僕は、ちょっとひねくれた性格というか、風貌に似合わず「妙にロマンチストなトコがある」(周囲の声)らしく、生き物と一緒に米作りができるかも、という光明に魅了されていきました。
だって楽しそうだし、自然のままで気持ちよさそうだし、環境にもいいんじゃないかと直感的に思えたのです。
そう思ったらもう止まらない性格。片手間の米作りから一転して、自分の思いを可能にする農法の勉強に突き進むようになりました。

勤務先も農業に理解のある会社に変え、そこから勉強に時間を割くようになりました。
農薬を使わずに、余分な草を除き、病気を防ぎ、害虫を除くにはどうしたらいいか?(今の僕は害虫も自然の生態系に取りこんでいますが、当時はそこまで分かりませんでした)。
机上の勉強だけでなく、全国で無農薬に取り組む農家があると聞けば現地を訪ね、教えを請いました。
数年で九州から東北まで、全国12箇所の田んぼを訪ねました。また、田んぼの環境を客観的に評価できるようにするため、「水田環境鑑定士」の資格も取得。
この資格取得の勉強で、「生き物と一緒に」というロマンは、環境を守る合理的な使命へと変わっていきました。

化学肥料も、外部からの有機肥料も使わない。
それは味の操作だから。
自然の地力を活かせないから。

勉強をしながら試行錯誤を繰り返すなかで、無農薬ともうひとつ、気になることがありました。肥料問題です。
無農薬の農家では、大抵の場合、化学肥料ではなく有機肥料を使っています。
これは安心安全の観点とともに、おいしいお米を作るためでもあります。
でも、自然農法へ意識を高めていた僕は、こんなふうに思うようになります。
「いくら安心で味も高まると言ったって、有機肥料は結局、よそから持ち込んだ言わば調味料ではないか。味を人工的に操作しているとも言える」。
僕は、生き物と一緒に自然な米作りができると思って力を入れ始めたんだから、有機であれ何であれ、外部から何かを足したくない、「何も足さない、何も引かない米作り」ができないものかと、考えるようになりました。

有機肥料は万能か、という思いもありました。

そもそも有機肥料=安全か? という疑問もありました。
有機とは牛糞、豚糞、鶏糞、食物残渣、落ち葉など色々とありますが、家畜や人間が化学的に合成されたものを食べていれば、結局糞や食物残渣も化学肥料に近いものになります。実際、自然な物を食べた家畜と、化学飼料を食べた家畜の糞は、臭いがまるで違います。
牛の下痢防止のために抗生物質を打つ牛舎も少なくありません。ですから有機肥料を過信したくありませんでした。

有機肥料が危険だと言っているのではありません。
むしろ今は、有機に限らず化学肥料も農薬だって安全に進化しています。
昔は農薬を飲めば死ねましたが、今はそう簡単には死ねないと言います。
除草はしても土壌には影響を及ぼさない優れた農薬もあります。
化学肥料を使ってもドジョウやメダカは元気(ホウネンエビはいませんが)。
でも、それを何十年も使い、そこで穫れたものを何十年も食べたらどうなるか、子や孫の世代への影響はどうか。アレルギー問題は起きないかは、誰にも分かりませんし、どんなに安全でも本来の自然とは異なってきます。
自然の生態系や環境にも少なからず何らかの影響を与えることでしょう。
そして、その土地の自然な個性、「地力」も中和されてしまうのです。

その土地の、
その田んぼの味を楽しむ自然感を。

僕のお届けするお米は、田んぼによって、その年によって、味が一定ではありません。
一定にするには決まった肥料を使い、収穫したお米をブレンドで調整すればいい。
その年の気候もありますから厳密に同じにするのは難しいけれど、ほぼ同じ味が得られます。
それは決して悪いことじゃないけれど、僕はイヤだった。納得できなかった。ブレンドもまた味の操作。
その土地の自然な味ではないのです。

同じ地域でも、田んぼによって収穫されたお米の味は微妙に違います。
なぜなら、土壌も微妙に違うし、太陽光や風の当たり具合も違うからです。
5人の子どもとも同じ育て方をしても、兄弟それぞれに性格が違うのと同じです。
ですから味は一定ではないけれど、その田んぼの個性を楽しむことはできます。
今回はAという田んぼの個性、次回はBという田んぼの個性を楽しんでほしい。
それが自然なことだと僕は思っています。(お届けするお米には、どの田んぼで収穫したものか明記しています)。
そして、そうした米作りに共感してくれる人の輪を、広げていきたいと考えています。

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